2019年6月9日日曜日

県民会館跡地発掘(久保田城跡発掘):9


 うちの目の前で行われている発掘調査については、前回の記事で終わるつもりでしたが、その後もいくつか遺構が見つかっていたり、私が新たに知ったことなどもありますので、少し書き足すことにしました。

 上の画像は、排水用の木製の水路です。たいへん立派なもので、使用されている木材もかなりの太さと厚さがあります。中土橋の通りに近い位置、県民会館の出入り口であった所に近い場所で、まとまった長さで発掘されています。


 木製の排水路に使用されている釘状の金具です。かなりの太さがあります。土の中でちょうどいい保存環境だったのでしょうね。木材も鉄材もきれいに残っていました。



 排水路の底面ですが、木を継いだところは段欠きにしてつないでいたようです。



 画像の黄色と黒の土の層は、版築(はんちく)という工法で土が突き固められた跡です。板で枠を造り、その中に土を入れて突き固めますが、違う土を交互に積み重ねて固く突き固める工法だそうです。当時は全て人力ですからすごいですね。この土地の盛土をする際に、周囲を版築で突き固めて高さを出してから、中を埋めていくような工法が取られていたようです。

 一度にどの程度の規模で版築で固めていったかがわかると、そこに必要な人数や工期などの見当がつくそうです。すごいですね。



 右側の柱の穴は、中土橋通りの際ですが、この位置の柱穴が何のために使われたのかは、容易には想像が付かないそうです。立派な門が、これよりも内側に築かれていたので、その外側の穴は何に使われていたのか、建造物があったのか何かの工法の跡なのか、正解を知りたいですね。



 埋没沢と言われる地形の場所だそうです。もともとこの場所に湧き水があり沢となっていたような場所だとのことでした。築城の時なのでしょうか、必要の無いものとして埋められたのでしょうね。今も水が湧いてきており、あまり水が出ると困るので、広い範囲を少しずつ掘っているそうです。一箇所を深く掘ると、せっかく掘っても水没してしまうのでしょうね。



 これは平安時代の屋敷跡の柱穴などのようです。かなり大規模なもので、同じ敷地から出ている平安時代の竪穴式住居跡とはかなり様子が異なるようですね。

 国司などの高級役人級の人物の屋敷じゃないと、この規模は説明が付かないらしいのですが、当時は秋田城が政治の中心地ですから、離れたこの場所にこの規模の屋敷跡というのは謎含みの物のようです。誰がどのように使っていたのか想像がふくらみそうです。

 ゆっくり時間をかけて発掘すれば、様々な発見があるのではないかと思うのですが、現場はとにかく工期に追われている様子で、重機で荒く掘る作業も多いのが実状のようです。近所に住む者としても、この地の歴史がより深く明らかになるチャンスなのに残念に思います。




 発掘は100人規模の人員で続けられており、解体工事の工期である28日ギリギリまで作業が続けられる模様です。事業主体の秋田市と秋田県が、もっと地元の歴史や発掘という行為に理解があれば、時間をかけて調査できたはずなのですが、全ては工事ありきなのですね。発掘現場の人たちは調査期間が短くてたいへんだと思うのですが、残り少ない調査期間にも、また新たな発見があることを願っております。



 一部の石製の遺構などは、すでに解体されています。現在発掘中の木製の排水設備も、今後解体されて運びだされるはずです。こういったものは、埋蔵文化財センターで保管される事になることが多いようなのですが、もとの形に復元しようと思えば、それは可能なことなのだそうです。木製の遺構なども、防腐処理をすれば、おそらく再構築が可能なのではないかと思われます。

 この場所の城跡については、デジタルで永遠に残すとか、調査報告書をまとめるとか、そういう言葉しか今のところ出てきておりませんが、せめて出土した遺構を再構築して、市民の目に触れるようにしたり、各種の出土品を展示することを考えるべきではないでしょうか。新たに建築する文化施設内に展示することなどを、検討するべきであろうと思います。昔の土木工事がどれほど大規模であったのか、そして祖先がどれほどの優れた技術を持って工事にあたったのかなどについても、市民にわかりやすい形で紹介されるべきだと思うのです。

 発掘調査で見つかっているものとしては、縄文時代からの人の営みの跡があり、平安時代の建物跡などもあり、久保田城跡としての遺構も多数あります。こういったものを、多くの市民にわかりやすい形で見えるようにするのは大事なことのように思われます。今回の工事を推進している市の担当部署が、向かいの旧県美の再利用についてまとめた報告書にも、「見える化」を大切なキーワードの一つとして書いていたように思いますが、地域の歴史的な財産の「見える化」も当然考えるべきことだと思います。

 新たな文化施設内に、発掘時の画像や、城主の仮御殿であったこの土地の当時の予想図なども展示して、現物と各種の情報で様々なものを見ることができる、そして知ることができる場所を設けることは、ここに建設予定の新たな文化施設にとって当然とも言える取り組みのように思えます。城跡発掘の成果を多くの人の目に触れやすくする。これは、今回城跡を破壊することになる事業者(秋田市と秋田県)が歴史に向き合って、最低限行うべき行為のような気がします。

 幸い、発掘されたものは拾得物ですので、半年後には正式に埋蔵文化財センターが保管することになり、市や県が欲しいといえば、手に入れることができます。あとは、やる気があるかどうかです。

 1万年単位の地質学的な歴史も、数十年あるいは数百年あるいは数千年単位の人の営みの歴史も、その土地の歴史については多面的に考えたほうがおもしろいような気がしますが、県民会館跡地の発掘は、そういった多面的な歴史が感じられるものでした。この土地が持っていた多面性を、多くの人に見える形にしていただけないものかと思います。

 地域固有の観光資源として考えると、駅の近くのこの城跡を残しておけば、今回の事業費の250億円以上の価値があると思いますが、一度破壊してしまえば、取り返しはつきません。何百億円かけても、破壊した歴史の積み重なりは取り戻せませんね。せめてもの形が、展示ということになるのではないかなと思います。もちろん、それが免罪符になることはありませんし、城跡の破壊が正当化されるものではないと思いますが・・・。