2018年11月13日火曜日

新文化施設建設工事:秋田の県・市連携文化施設の公聴会や設計や土地の歴史など

***お詫び***

 建築基準法が、今年の4月に改正されていたことを知らずに、改正前の建築基準法を元に当初の記事を書いておりました。最新の建築基準法は今年の9月25日に施行されておりました。最新の情報を確認しなかった私の責任です。そのため、書類の不備ではないかと指摘していた部分については、私が古い情報を元に書いた不適切な内容となっておりました。関係者の方に、またこの記事を読んでくださった方に、不正確な記事によりご迷惑をお掛けしたことを、お詫び申し上げます。以降の記事については、法改正が行われたという私にとっては新たな知見を元に、書き直しました。慣れない法律の文章の理解は難しいので、今後も誤りに気がついた場合には、できるだけ正しい記述となるように修正いたします。

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 私の店のすぐ前に、「県・市連携文化施設」というものが建設されることになっており、同じ場所に立っていた「県民会館」を現在は解体中です。だんだん音と振動が強くなってきて、不安を感じているところです。

 冒頭の画像は、南東方向から俯瞰した感じの今後建設予定の施設の完成パースです。矢印で示している建物の裏側辺りに、当工房は在ります。

 さて、「県・市連携文化施設」のことを、私は勝手に「新文化施設」と呼んでおり、このブログの投稿の題名にも「新文化施設」と書いております。今回の記事でも以下「新文化施設」と書かせていただきますが、この施設の建設に関しての公聴会が2018年11月9日(金)の19時から行われました。20時半終了予定のわずか1時間半の予定の集まりでした。

 公聴会の案内のプリントは、「特定行政庁」の「秋田市長」の名前で送られてきておりました。「特定行政庁」というのは、建築の世界で使われる言葉のようで、「建築主事を置く地方公共団体、およびその長のこと。建築の確認申請、違反建築物に対する是正命令等の建築行政全般を司る行政機関。 建築基準法第二条第三十五号に規定されている。 」だそうです。公聴会の案内には、担当は秋田市都市整備部建築指導課であることが書かれています。

 公聴会の案内のプリントに書かれていた一部を転載します。「・・このたび第一種住居地域内において、原則として建築が制限される劇場を主用途とした建築計画について、建築基準法(以下「法」という。)第48条第5項ただし書に基づく許可申請がありました。つきましては、法第48条第15項の規定により、事前に本計画について近隣の皆様のご意見をお聞きするために、下記により公開に縒る意見の聴取を行いますので、ご案内申し上げます。」と書かれていました。文中の建築基準法第48条の各項目を以下に示します。第5項・第15項です。

 5. 第一種住居地域内においては、別表第二(ほ)項に掲げる建築物は、建築してはならない。ただし、特定行政庁が第一種住居地域における住居の環境を害するおそれがないと認め、又は公益上やむを得ないと認めて許可した場合においては、この限りでない。

 15. 特定行政庁は、前各項のただし書の規定による許可をする場合においては、あらかじめ、その許可に利害関係を有する者の出頭を求めて公開による意見の聴取を行い、かつ、建築審査会の同意を得なければならない。ただし、前各項のただし書の規定による許可を受けた建築物の増築、改築又は移転(これらのうち、政令で定める場合に限る。)について許可をする場合においては、この限りでない。

 上記の2項が案内のプリントに書かれていた項目です。この文章から判断すると、公聴会に参加した私たちは、「利害関係を有する者」として公聴会の案内をいただき出頭を求められたものと考えられます。しかしながら、法律に記載されており、たいへん重要なキーワードである「利害関係を有する者」という言葉は、参加者には一切伝えられておりません。

 今回の公聴会については、私は事前には内容が何なのかもよくわからずに、何の準備もせずに白紙の状態で参加しましたが、建築許可に関わる「利害関係を有する者」の意見を聴取する場であることが事前にわかっていれば、全く違った姿勢で参加していたと思います。一般市民に対して、わかりやすい形で正確な情報を伝えてこないやり方は、不誠実なやり方だと思います。第5項・第15項の全文を、案内のプリントに記載して、事前に知らせていただくべきだったと思います。建築基準法の知識の少ない私たち一般市民に対して、わかりやすい説明が必要だったはずです。

 公聴会の在り方が、案内を出す時点ですでに「利害関係を有する者」である私たちの利益を損ねる形になっていたと私は思います。これは行政側が対象となる市民に対しての説明責任を果たしていないことになると思います。事業主体で建築の申請者となるのが、第三者ではなくて県と市ですから、身内に都合の良い形で開催したということにもなり得ます。

 第15項では 「・・・その許可に利害関係を有する者の出頭を求めて公開による意見の聴取を行い・・・」と書かれていますが、今回の公聴会の案内が送付されたのは、建設地の周囲100メートルの範囲の関係者のみであると案内書には書かれていました。第15項で「利害関係を有する者」とされていることを、敷地の周囲の100メートルと置き換えたのは、秋田市によるものだと思われます。

 新文化施設の建設予定地の周囲の間近なところは、もともと民家や他の施設は多くはありません。ですが、近くに住みこの付近が生活圏内になっていて、日常的に施設のそばを通る人も数多く存在します。建設予定地のあたりは、付近に住む子供の通学路であったり、お年寄りの散歩道であったり、今回の新施設の計画は周囲の様々な人に関係があるはずです。当然、新文化施設に往来する車両の影響があると思われる近くの住宅地もありますが、そこは100メートルの範囲に入っていません。近接する住宅地全体が範囲外にされてしまいました。

 近くの住宅地に住む知人に確認したところ、やはりその人には今回の公聴会の案内が届いておりませんでした。その人の家と新文化施設の敷地からの距離を地図上で測ってみたところ、120メートルほどでした。わずか20メートルの違いで、「利害関係を有する者」の対象外とされたという事になります。その合理性はどこに在るのか、はなはだ疑問です。

 中心市街地に造られる、多くの人が集まる巨大な施設ですから、本来は影響のある範囲をより広く考えるのが普通だと思いますが、逆に出来る限り範囲を狭くしたというのが、秋田市の公聴会の手法だと思います。

 この周囲100メートルの範囲については、「秋田市建築基準法施行細則」 という昭和48年に制定された、秋田市役所内部の細則にその根拠を求めたものだという説明を受けました。市役所が公開している細則のページによると、最新の細則は今年の9月28日に施行されております。この細則を読む限りは、「利害関係を有する者」を敷地の周囲100メートルの範囲に限定するような記述はありませんでした。

 当該部分となる「秋田市建築基準法施行細則」第17条第2項の(2)に書かれているのは、「申請に係る建築敷地の周囲100メートル以内にある建築物、空き地等の現況図ならびにその所有者、賃借権者等の住所および氏名を記載した調書」を市長に提出する申請者の義務についての記述です。周囲100メートルの範囲に在る者を、建築基準法第15項に書かれている「利害関係を有する者」と同一とするような規定は、私が読む限りではありません。

 建築基準法第48条第15項によると、「利害関係を有する者」に出頭を求めて公聴会を開くのは、「特定行政庁」の義務ですから、許可の申請者が「申請に係る建築敷地の周囲100メートル以内にある建築物、空き地等の現況図ならびにその所有者、賃借権者等の住所および氏名を記載した調書」を市長に提出する義務とは、直接の関連は無さそうな気がします。細則にはその調書の利用目的も具体的には書かれていないように私には読めます。「利害関係を有する者」の一覧を、一方の当事者である建築申請する側が提出するとしたら、それはそもそもおかしな話なのではないかと思うのですが・・。

 「利害関係を有する者」を敷地の周囲100メートルの範囲と定める決まりが、細則のさらに細則などの、他のどこかにあるのかもしれませんが、私には探しようがありません。専門的な知識もないところに、細則の細かい文字を目で追うだけでも難儀ですので、法令の確認は難しいです。

 もしも、「利害関係を有する者」を敷地の周囲100メートルの範囲にすると記述している細則が他に無いとしたら、今まで裏付けも無いままに、周囲100メートルと範囲を絞って、各種の公聴会を開催してきた可能性も考えられますが・・・。今回はそういった決まりの有る無しは別にしても、秋田市では初めて造られる形態の、多くの人が集まる巨大な複合施設ですから、影響する範囲は広く考えるのが当然なのではないでしょうか。地図を広げて、施設を利用する人や車両の動線を考えるだけでも、影響の出やすそうな近くの住宅地などは、私にも想像がつくことです。

 また、今回の建設計画では、秋田市にとっても市民全員にとっても大切な財産と言える、歴史的な遺産である城跡の土塁と郭が大きく削り取られます。県民会館が建っていたこの土地は、城の土塁であり、久保田藩の家老であった渋江家の屋敷跡でもあり、本丸が火災にあったおりには、殿様の仮御殿として利用された場所でもあります。ここで二度と修復できない破壊行為が行われます。これは市民全員が今回の建設計画について「利害関係を有する者」と言えるということでもあります。歴史・文化・観光・まちづくりの中心と行政自らが言っている場所で、このような荒々しい工事が行われることを、どれだけの市民が理解しているでしょうか。行政側が、市民に対して十分な説明をしているとは、決して言えない状態なのではないでしょうか。

 建築基準法に基づいた「事前」の公聴会ということでしたが、設計は近隣の住民の意志とは関係の無いところで進められておりますし、すでに解体工事も進んでおりますので、この地域に住んでいる人間にとっては、この一連の工事は「事前」でも何でもありません。法律上はともかく、私の認識としては、この事業についてはすでに「事後」となっていることがたくさんあると感じています。おそらく、この感覚は私だけではないものと思います。

 この公聴会は開催前から参加者は少ないと予測できるものでしたが、会場に行ってみると、県・市の関係者と一般の参加者が同数くらいという、やはりこじんまりとしたものでした。公聴会の開催前には、「利害関係を有する者」からの意見の聴取のための集まりという意識は無かったので、単にどうせ形だけの何かのアリバイ作りのような会議だろうと思いながら、特には何も考えずにまずは参加してみました。


 1階図面(公式には地下1階とされている?)

2階図面(公式には1階とされている?)

 以前から見ていたものではありましたが、建物の図面なども用意されていました。右側の「辻永クラフト工房」や「民家」は私が描き加えたものです。本当に目の前の施設でありまして、ここで長期の工事が行われています。

 1階図面が公式には地下1階とされているというのは、現在の敷地を掘り下げて造るためで、基準となるレベルをどこに置いて考えるかで違ってくるものですが、人が道路を歩いて来てそのまま入る階という意味で、最初の図面を1階と表記しております。城跡の一部である小高い土地が、ほとんどと言ってもいいくらいに、大きく削られてしまうのが図面からわかります。

 この階層の表記は、行政の文章で途中で変えられており、今年の1月付の公式資料では、私が表記したとおりに1階は1階と書かれており、地下1階から地上6階までの平面図が記載されていました。今回公聴会で渡された資料は今年の11月付けになっておりましたが、地下2階から地上5階までの平面図として同じ図面が記載されていました。

 ちなみに、1月付の資料が私たち住民の手元に来たのは、その数カ月後の今年度になってしばらくしてからのことです。設計がほぼ出来上がり何ヶ月も経ってから、初めて私たちは設計について知りました。実際の設計は、昨年のうちにできていたことでしょう。私たちはこんなに近くに住んでいて、大きな影響を受けるのに、詳しいことはほとんど知らされないような状況に置かれてきました。

 普通は図面では上が北になりますが、行政側により用意されていたこれらの図面は 、上が西になり右が北になっています。で、私たちのことを北側住民と、公聴会の建築申請者側の一人である設計業者が表現しておりました。今回の施設では、より背の高い建築部分を南側に設けているのですが、そのことを持って、圧迫感が無いように、北側住民に配慮して設計したと建築業者が話していました。

 でも、それはある意味片手落ちの自分勝手な説明で、北側の住民に配慮したとはとても言い難い部分が、この施設の設計にはあります。ここに住む一人としては、設計ミスだろうと言いたいほどの内容なので、私達に配慮したなどとよくも言えたものだと、私は思いました。そして、この部分については、県からも市からも設計業者からも一言も説明がありませんでした。なので、私がここにできるだけわかりやすく書くことにします。



  この図は、旧施設となった県民会館の時の状態を示したものです。詳細な平面図ではかえってわかりにくいので、あえて大雑把な図で説明します。行政側の図面に合わせて、上が西で右が北になります。

 県民会館では、車両の動線も屋外機械室も搬入口も大型トラックの駐車及び旋回スペースも、全て民家のある側には設置されていませんでした。民家のある北側以外の三方に、それぞれが分散されて配置されていました。この施設を運営するにあたって、北側に住む人たちには極力影響が出ないように、住民に対して配慮のある設計がされていたのです。公演があるというだけで付近の住民には各種の影響がありますから、当然の配慮と言えるものだったと思われます。また、千秋公園側の雰囲気を損なわないという意味でも、妥当なものだったと思われます。

 

 ところが、新しい施設では上図の右側の橙色で示したあたりに、車両の動線・屋外機械室・搬入口・トラックの駐車及び旋回スペース、などが集約されます。まさに、北側住民の住む場所に面して、すぐ目の前に、今までなかったものが集約され設置される計画なのです。

 設計の本質は、旧施設とは全く異なっており、とても北側の住民に配慮したとは言い難い内容なのです。これを、行政側も設計者も私達に説明していません。たいへん重要なことなのにです。こういったことを説明しないだけでなく、北側の住民に配慮した設計をしたと私達に説明しているのですから、よくもまあそんなことが言えるものだと思うのです。今回の公聴会以外の席でも、北側の住民に配慮した設計という説明は、おそらく当たり前のように使っていたと想像されますので、ここに住む住民にとっては不誠実な姿勢だと思います。

 間近に住む市民に対して、以前の設計とは大きく異なる部分があり、それは住民にとってはマイナスとなる可能性や、不都合の起きる可能性があることを明確に説明した上で、誠意を尽くして協力のお願いするのが、本来秋田県と秋田市に求められるべき姿勢だと私は思います。そうでなければ筋が通りません。でも、そういった姿勢は微塵もありません。わかっているのに、一切説明しないのです。わかりやすい具体的な説明があれば、私たちここに住む市民からは、設計変更などの要望も含めて、当然もっと具体的な意見が出されるはずですから、それを避けるために意図的に具体的な説明をしてこなかったのではないかと、私は疑っています。

 現在の和洋高校の敷地に新設される駐車場への車両の動線も北側で、しかも民家の2階と同じようなレベルを通るスロープになっており、新設される駐車場の2階に接続されます。機材搬入などの大型トラックが旋回する場所も、大型トラックの駐車場も民家のすぐ目の前になります。

 旧県民会館でも、かなりの台数の大型トラックが来る時がありましたし、搬入搬出時の音なども問題になる可能性があります。新文化施設は、コンサートホールとお芝居のホールがそれぞれ設けられる複合施設ですから、両ホールでの公演の搬入や搬出が重なる可能性もあり、さらに多くの大型車両が出入りすることも考えられます。また、公演が終わってからの夜に搬出が行われることも考えられます。そういった具体的なことを当初から想定しながら設計をしているはずなのに、説明が一切無いのは異常です。私たちが気がついて質問しなければ、具体的なことは説明しないという姿勢なのでしょうか。

 巨大施設の屋外機械室も民家のある側に設置されます。これについて公聴会で質問した時には、法律で定められた範囲の音しか出ませんという説明がありましたが、それが今と同じ程度の静かさを保証されるものなのかは、明確ではありません。法律の範囲に収まっていても、不快に感じる環境になる可能性はあるはずです。どんな性質の音が出るのかも定かではありませんので、耳で聞こえる波長だけが問題になるわけでもありません。法律の範囲というのは、ものすごく大雑把なあまり意味のない説明でしかなく、私達に具体的な説明をしているとは言えません。機械の種類からはじめて、もっと具体的な説明をするべきなのですし、屋外機械室を他の箇所に持っていくことのできる可能性もあるはずです。

 こういった具体的なことについて、隣接地に住む市民に対して明確に説明をしないことに関して、私はこれは作為的なものだと思っています。行政側の関係者の人たちの気持ちはともかく、私たちから見れば悪意があると言っても良いかもしれません。細かい図面を渡されて、平面から立体的な完成図を思い描ける住民はほとんどいないのですから、行政側にはそれをわかりやすく説明する義務と責任があるはずなのです。
  実は、北側から見た完成パースが以前渡された資料には無くて、肝心なことを見せないのは良くないやり方だと思っていたのですが、今回の公聴会で渡された資料の最後に1枚ありました。ここに紛れ込ませて来たかという感じでした。これで、ちゃんと説明しましたというアリバイにするつもりなのかもしれませんが、こういった北側の完成パースを使っての具体的な説明は、これまで県も市も私たちには一切行っていません。

 これは北西方向から見た完成予想パースです。資料に掲載されていた完成パース画像のうち、北側にあたる部分だけを切り取りました。紙のモデルを撮影したもののように見えます。この角度からの完成パースは、行政が公開しているネット上のページにも掲載されておらず、ほとんどの市民は見ることのできないものです。公園側からの景観があまりにもコンクリートの人工物になってしまうので、わざと掲載していないのかもしれませんが、北側から見た完成パースも市民に対して広く公開するべきですね。もっと違った角度からの図も見たいですし、市の広報などにもわかりやすく載せるべきだと思います。

 この完成パースを見ると、北側の住民に対してだけでなく、北側の千秋公園にとっても、決して良いデザインにはなっていないのではないかと思います。

 県民会館が建っていた今回の建設予定地は、史跡の指定はされていないようですが、久保田城の土塁跡であり、久保田藩家老の渋江家の屋敷跡です。今回の事業によって、世紀を越えて残ってきた城跡の貴重な土塁と郭は削り取られ、石垣があり樹木のあった風景は、歴史のある場所とは言い難いほどにコンクリートの人工物へと激変します。公園の入り口の坂のある側、北東方向から見た完成パースが公開されて、市民が見慣れていた、公園側から見た以前の状態と比較する事ができるように並べれば、市民からの反応にどのようなものがあるのか、また歴史や史跡の専門家からどのような意見があるのか、おそらく耳を傾けるべき意見が多く出て来るのではないかと思います。

  北西から見た完成パースに、矢印でそこが何なのかを描き入れました。当工房の位置は、画像の下の方になります。弱小工房なので、建物も低くて引っ込んでいますね。

 どうですか、これは。今までは静かで、桜・松・栃・欅などの樹木があるくらいで、あとはあまり使われることのなかった数台分の駐車場があっただけだったところに、裏口的な機能を全て集約させてしまった設計です。こんなに以前と変わるのに、ちゃんと説明しないのは、私は卑怯なことだと思っています。言わなきゃ完成するまで気づかないと思っているのか、事業の進め方がとてもずるいですね。

 北側の完成パースは、もっとわかりやすく示していただきたいとも思います。俯瞰的なものだけでは不十分です。私たちが家の前から新たに造られる施設を見た時に、具体的にどのように見えてどのような用途の場所になるのか、わかりやすく詳細に示していただきたいと思います。

 当工房の目の前あたりには、トラックの旋回スペースをかなり大きくとっているのが、完成パースからわかります。平面の図面では、私には全くわからなかった部分です。向かいの民家の2階の目の前に搬入口があり、トラックの取り回しが行われます。 新設される駐車場を利用する車両が出入りする動線も、全て民家の2階の高さくらいの位置に設定されています。当工房の店舗から見ると、自分の背よりも高い位置で、大型トラックが取り回され、駐車場へ行き来する車が通ります。

 駐車場へ向かう車両の動線と、搬入口での大型トラックの取り回しスペースが共用されていますが、これは決して合理的な設計では無いと思います。空間を違う用途で共有している事になりますので省スペースではありますが、それは場合によっては危険を伴う可能性があるはずです。安全性の面で不安がありますし、運用面での合理性に欠ける不都合な点が、設計図の段階でいくつか想像されるのではないでしょうか。

 安全面について言えば、万が一にも大型トラックや往来する乗用車が操作を誤った時に、道路にそして当工房に、上から車が落ちて突っ込んでくる可能性もあるのではないかと思います。そういった事故に備える防護設備を十分に備えることのできる設計にはなっていないようにも見えます。私の工房の店舗は、以前県民会館に出入りする大型トラックによって、店の前面を傷付けられたことがあり、その跡は今も残っています。 操作の誤りは現実として起こり得ます。

 新しく造られる駐車場については、主に公演に参加する人たちのために整備するという趣旨の説明が公聴会の席であったのですが、それ以前の県の説明ではどのように使うのかも未定だと言われておりました。駐車場がどのような使われ方をするのかによっても、その影響は異なることになります。来館者が広く使うことのできる駐車場でしたら、当然それなりの台数の車両が駐車場へと向かうスロープを毎日使うことになります。

 新文化施設には、市民が使う練習場・創作室・研修室などがいくつも造られます。新文化施設が遅くまで営業されるとしたら、施設利用者の車両も遅くまで、民家の2階の高さの目の前を通るということが考えられます。音や声の問題が起きる可能性もありますし、車のライトが隣接する民家を夜中にライトで照らすということも考えられます。民家のみならず、千秋公園・市立図書館など周囲に影響がある可能性もあります。大型トラックについても同様の懸念はあります。

 また、公聴会の時に、駐車場へ出入りする車から、ここで生活する我々は見られるのかと質問したところ、駐車場へ出入りする車から「見える」という答えでした。「植栽などで目隠しをする」とも言っていましたが、この完成パースをみる限りは、植栽のスペースは殆ど無く、無理に行うと逆に私達の普段の生活での視界が遮られ、圧迫感が増す可能性もあります。圧迫感が少ないように設計したなどと設計者は言っていましたが、私達の生活を圧迫するような設計をたくさん織り込んでいるのが実態でしょう。甘く見られて馬鹿にされているものだなと思います。

 他にも、県民会館時代よりも増えるであろう従業員の出入りや、ゴミの搬出や空調設備への燃料補給のやり方などなど、事業に関わる様々な作業方法や動線が、隣接した場所に住む住人にとっては関係してきます。私たち住民にとって最も大切な日常生活に関係することは、多岐にわたりたくさんありますから、こういったことを具体的に説明していただく必要があるのです。設計は、多くの作業を想定して行われるものですから、図面のできている現段階で、説明できることはたくさんあるはずです。それを自ら積極的に説明しようとしない行政側の姿勢は、悪質で良くないことだと思います。

 公聴会では、もう少し目の前に住む住民と相談しながら事業を進めませんか? いかがですか? と、私から行政側の参加者に問いかけましたが、少し間が空いてから「議長」という人が、「たいへん貴重なご意見ありがとうございました。」とだけ口にしました。この人は同じ市役所内でも、事業を進め建築申請する側ではなく、審査する側の部署の人です。事業を進める部署の人たちは無言でした。この定型句は、主にゼロ回答の時に行政側がよく使うものだと、私は以前から認識しています。それを面と向かって生で言われましたので、「ああ、そうなんだ」と心の中で思いました。即答で関心無しのゼロ回答をされたようなものでしたが、形だけの公聴会だと思って参加していたので、その時はそんなものだろうなという気持ちでした。秋田市のまちづくりの基本理念「ともにつくり ともに生きる 人・まち・くらし」を少しは実践してくれれば良いのにと思います。基本理念は市民を考えている風なんですけど、それが実践されているとは言えないですね。

 私の質問中に、「議長」からは予定の時間だから質問を手短にという発言があり、こういった姿勢は参加者から不評をかっていました。今考えると、「利害関係を有する者」としてはまだまだ話すべきことがありました。

 会場を借りているのが21時までということで、公聴会終了予定時刻とされていた20時半を30分ほど過ぎた21時で、公聴会はお開きにはなりましたが、本当にちゃんと市民の意見を聴こうと思えば、会場はその場で簡単に延長して借りられたはずでした。なにせ24時まで開いている会場だったのですから。でも、積極的に市民の意見に耳を傾ける気は当初から無かったでしょうし、早く帰りたかったでしょうね。

 私達は無給で秋田市の公聴会に付き合いましたが、彼らはちゃんと時間外の割増賃金を受け取るのではないかと思います。うらやましいですね。議長は早く終わらせるのも仕事のうちだったと思いますが、その態度にはもう会議は面倒という感じがあり、それが言葉にも表情にもわかりやすく現れていたように思います。「議長」は今回の公聴会では最高責任者だったと思いますが、「利害関係を有する者」であった私たちに対して、公聴会の趣旨の説明も不十分だったと思いますし、参加者に対して誠実に対応していたのか疑問に思うところです。

 秋田市は、本来は市民を守るべき立場なのですが、近隣に住む市民の不利益になる設計について、今は県と設計者と一緒になって市民には説明せずに重要なことを隠しているような状況です。自ら積極的に誠実に説明しないということは、そういうことなのだと認識していただきたいと思います。多くの場合、各階層ごとの平面的な図面から立体を想像し、しかも施設ができた後の具体的な稼働の様子を想像するのは難しいことですから、行政側には市民に対してわかりやすく説明する責任と義務があります。特に秋田市は、市民の権利と利益を守るべき立場にありますから、市民の不利益になる可能性をわかっていながら明確に説明しないのは、責任の放棄でもあります。

 今回の公聴会に、事業の申請者として出席していたのは、「秋田県県民文化スポーツ部文化振興課 」の職員と、「秋田市企画財政部企画調整課」の職員です。この人たちには、市民の不利益にならないように、市民に対して懇切丁寧に今回の事業や設計について説明をする義務と責任があると、私は思っています。そして、現在まで、その義務と責任は果たされていないと私は認識しています。

 ここに住む住民は、3年以上に渡る大型工事を我慢する覚悟はしています。 すでに、音や振動や埃の類は毎日のように我慢しています。行政側から誠意のある説明や対応が無ければ、それは我慢を覚悟している市民に対しての裏切りです。工事中もそして施設ができてからも住民からの不信を招かないように、設計段階から隣接した場所に住んでいる市民と誠実に対話をする姿勢が、行政側には必須となると私は考えていますし、そういう姿勢を見せていただくことを願っています。私たちが「利害関係を有する者」ゆえに、事業主体であり建築申請をする立場の彼らは、私たちには誠実に接して来ないのかもしれませんが、それでは住民から信頼されることはありません。


 今現在の事業計画・建築計画について、建築基準法第48条第5項の文章に基づいて言えば、「第一種住居地域における住居の環境を害するおそれ」があるということになるはずです。住民の住居の間近に今までなかった設備や機能を集約させている現在の設計は、そう簡単に「住居の環境を害するおそれ」が無いなどとは言えません。もっと具体的な説明や対話が必要であり、今から予想される様々な問題については対策が話し合われるべきです。

 また、必要に応じて設計変更を考えるということがあっても良いはずです。駐車場への車両の動線は、従来通り南側の広小路と堀に面する側に持っていくことも可能だと思われます。土塁をごっそり削るのですから、南側も削っても良いということになるでしょう。あるいは、堀の上に車両が通ることのできる車道を新設するという手もあるでしょう。屋外機械室も、民家への影響の無い南側に設置することも検討されて然るべきだと思います。搬入口やトラックの旋回スペースなども、他の設計の可能性が無いはずがありません。

 繰り返しますが、今現在まで建設地の間近に住む住民に対しては何も具体的な説明がされておらず、具体的な説明に基づいた何の話し合いもされておりません。情報があまりにも不足しております。県も市も「住居の環境を害するおそれ」についての具体的な説明を私たちには一切しておらず、必要な話し合いも一切行われておりませんから、「第一種住居地域における住居の環境を害するおそれ」は確実にあるのです。

 秋田市の建築指導課は、性急に安易に建築を許可をするべきでは無いのは明らかだと思います。公聴会の案内文書での事前の告知内容も不充分なものであったと思いますし、口頭での説明も不十分なものでした。「利害関係を有する者」に出頭を求めての公聴会という基本的な情報を、市民側は知らされておりませんでした。また、敷地の周囲100メートルと対象範囲を狭くした行為も、適切であったか疑わしいと私は思います。

 建築基準法第48条第5項に書かれている通り、「公益上やむを得ないと認めて許可」をするという切り札が市役所にはありますが、建築基準法第48条の第5・第15項の意味を真摯に受け止めて、もう一度しっかりと私たち住民に説明をした上で話し合うのが筋というものでしょう。申請者が仲間内だからといって、住民に対して具体的な説明さえしていない不誠実を、許すべきではないと私は思います。間近に住む住民が、家と面する新文化施設の北側部分の完成パースさえ見せられていなかったという事実は、たいへん重いものだと思います。完成パースは以前からあったはずなのにです。

 公聴会では、私もいくつかの質問はしましたが、「利害関係を有する者」としてではなく、近所の者としてその場で思いついた自分の生活に関係することを質問したに過ぎません。回答も表面的なもので十分なものではありませんでした。質問途中で、時間だから手短にと、「議長」から時間の制限を受け急かされた事実もあります。公聴会の意味を理解した今、本当に形ばかりの公聴会の真似事だったと思います。

 あまり一方的な話にならないように、私なりに少し譲歩して書き加えるとしたら、今回の事業や設計についての説明が不十分になっている理由としては、担当者の専門性や説明の技量が不足しているという事が影響している可能性もあるかもしれません。お役所の異動の仕組みのために、担当者が専門性の無い素人ということは、一般的なこととしてあり得ることです。その場合、より具体的な説明のできる人材を補助につけるなど、行政側が対策を取る必要があるのだと思います。素人にできる仕事ではありませんから、専門性と想像力があり、なおかつわかりやすい説明のできる技量のある人材が必要なのだと思われます。

 新文化施設建設予定地の北側の道路に立ち、新文化施設ができた時に、ここから見るとどういう感じになるのだろうかと質問した時に、担当者からは「できてみないとわかりません」 という返答しか今まではいただいておりません。担当者は設計図面を理解していたでしょうし、完成パースを見ていたはずですから、説明するべきことが本当はたくさんあったはずです。初歩的なこととも思われる具体的な説明が、十分になされていないのです。

 現実としていま行われている解体工事などでも、説明不足や連絡不足を感じる事がありますが、住民に対しての誠実さや配慮が足りないのだと思います。

 

 これは、旧施設となった県民会館を、解体前に北東の位置から撮影した画像です。中央からやや左側にある階段の脇に搬入口があります。階段部分からの入り口は、ステージ裏の楽屋につながっています。

 右端に小型トラックが写っていますが、この駐車スペースはあまり使われることのなかった場所です。小型のトラックとともに右端に写っている樹木のあたりから向こうが、ちょうど北側の民家に面し真向かいにあたるところです。静かなところでした。

 新文化施設では、民家と接するこの北側が、屋外機械室・駐車場に出入りする車両の動線・搬入口・大型トラックの駐車場・大型トラックの旋回場所になってしまうのです。いくら何でも、詰め込みすぎでしょう。この設計には、住民に対しての配慮が無さすぎます。


*******以下、余談も含めて********


 実は、私のとても大きな心配として、冬季の雪かきがあります。和洋高校の門のあたりから市立図書館明徳館の前までの、道路の両側の歩道部分は、毎年私が雪かきを行ってきました。以前は一人でしたが、今は学校のある日は和洋高校の用務員の方と協力しながら行っています。和洋高校の敷地に雪を捨てるのも、お互い様の了解事項です。でも、新文化施設の駐車場にするために和洋高校が移転するので、雪かきも今までとは変わっていくと思います。とりあえず、公聴会の席で、「雪は新施設の敷地に捨てますから」と宣言しておきました。行政側の参加者には苦笑されましたが、私にとっては本当に重要事項なのです。

 県民会館の運営者は全くと言っていいほど、道路の歩道部分の雪かきはしませんでした。市道だから、市の責任だという説明を今回の公聴会でも聞きました。私が町内会長をやっていた時に、市役所から除雪に関してのアンケートがあって、それは道路も市民参加で除雪しましょうという答えを出すための内容でした。責任逃れのような、こんなアンケートはするなということを書いて提出した記憶がありますが、高齢化の進む秋田では無理な人も多いのです。そして、除雪の問題の根底には、街を拡張し道路を造り続けてきた市の責任も大いにあります。

 公共の施設は率先して周囲の歩道などの除雪は行うべきだと思うのですが、私の近所の公共施設は、施設の周囲をほぼ除雪しません。市民に対しては道路の除雪も協力してと言いながら、自分たちの施設ではやりません。あれではダメですね。敷地内だけというのは、今回の新施設の設計や事業内容にも通じるものがありますが、敷地内だけではダメなのです。

 それから、以前8月にこのブログの記事として、事前の家屋の調査における個人データの取り扱いに付いて、行政側の認識や対応に問題があり危険だということを書きました。今回の公聴会は公的な場でちょうど良い機会だったので、その話もしてみました。

 簡単に説明しておくと、工事に伴って家屋の破損などの補償問題が起きた時のために、家屋の現況の調査が行われるのですが、その時に現在では高精細なデジタルデータが作成されます。今回は、通常の画像の他に、リコーのシータで家の中の全ての部屋・場所で360度の球体写真とも言える画像も撮影され、高精細な家中まるわかりのデジタルデータが作られました。こういった重大な個人情報に付いて、住民側と行政側で取り扱いの約束が一切取り交わされていないのです。本来ならばとっくの昔に対応されていなくてはならない事柄ですが、県に問いかけても問題意識すら持つことができないという状態でした。

 今回の公聴会であらためて問いかけてみたところ、県からは、3ヶ月前と同様に、自分たちを信用して欲しいという言葉しか出て来ず、繰り返し自分たちの言葉を信用して欲しいと言われましたが、そういう言葉が公の場で出て来る事自体が時代とズレていると感じました。もちろん、言葉ではダメなのは明白で、納得できるものではありませんし、他の参加者もそんなことも秋田は対応できていないのかと、驚かれていたと思います。

 前例が無いから今回だけやるわけにはいかないという県からの発言もありましたが、それは、今までずっと怠ってきたという事実を公の場で口にしたという意味しかなかったと思います。面倒な説明や対応はしないという、今回の事業全体にも通じる姿勢の表れようにも思います。けっきょく県の上席の職員だと思われる人から、持ち帰り検討するという言葉がありました。真面目に対応してくれれば良いのですが・・・。それから、同様の状況での秋田市の対応がどうなっているのかはわかりません。今回の事業は、市と県が連携して行っている事業ですので、機会があれば、市にもあらためて確認してみたいと思います。

 ちゃんとした書面で、データの保管・管理について、住民との間で詳細な約束を取り交わすことが必要です。紙データとデジタルデータの保管場所・保管環境・保管期間などの明確化、またデータに関しては住民が自らの個人情報についての権利を保有していることも明確にしなくてはなりません。調査には任意に協力したものであり、個人データは私達のものなのです。データを削除させる権利が私たち住民側にはあるのです。

 公聴会に参加していた近所の人も、秋田でこんな基本的なことがちゃんとできていないことは知らなかったとおっしゃっていました。個人情報の取り扱いについて、私が話したり書いたりしたことは、もうだいぶ以前からの常識と言っていいことばかりですので、ただ普通のことを普通にやってほしいという事だけなのですが・・・。

 念の為にさらに付け加えておきますが、調査をする業者は高精細なデジタル画像の撮影機材とともに、タブレットなどの撮影した画像を確認する端末も持ち歩きます。調査時に、即データの複製が行われているということになります。こういった撮影機材やモバイル端末を置き忘れるだけでも、個人情報が漏れる事につながります。 撮影したら即日ネットからは切り離された端末にデータを移動して、モバイル端末からはデータを確実に削除するなどの、具体的なマニュアルを決めておくことも、調査を請け負う会社と調査を発注する行政側には求められます。そのマニュアルも、市民に明示されるべきものでしょう。デジタルデータは昔の資料とはその性質が異なりますから、管理に気をつけましょうという大雑把な枠組みだけではダメな時代になっているのです。

 秋田県は、今年度を「秋田デジタルイノベーション元年」と位置づけているようです。まずは県庁内で、デジタル化された個人情報の取り扱いについて考えることに、真っ先に取り組んで見本を示していただきたいですね。「秋田デジタルイノベーション元年」と言われても、まず先にお役所がちゃんとしてくださいとしか言いようがありません。

 それから、新文化施設の真向かいに旧県立美術館があります。老朽化しているから建て替える事になった県民会館とは違い、こちらは老朽化しているのに取り壊しもせずに、これからさらに50年間使うという計画が立てられています。特徴のある建築物として大事にしようということになっているらしいのですが、隣の明徳館はモダニズム建築の巨匠の谷口吉生氏の作品ですし、新文化施設の建設工事で破壊される予定の土塁などは歴史的価値のあるものですから、もっと大事にしなくてはならないものがあるのではないかと私は思います。

 旧県立美術館を取り壊して駐車場にすれば、わずか200台の駐車場に25億円も掛ける必要は無いですし、新文化施設北側の車両の動線も異なったものになったはずです。新文化施設として無理に巨大な複合施設を計画しなければ、歴史的な価値のある城跡の土塁と郭を削る必要も無いですし、無残に伐採された樹木もおそらく切られずに済んだことでしょう。巨大施設ほど維持費もかかり、将来の修繕や更新にもお金がかかりますから、人口減少が急激に進み財源が少なくなる秋田において、合理的な建築計画と言えるのか疑問に思われます。

 旧県立美術館の建物は、私も子供の頃から身近にあったものですし、個人的には好きなのですが、この地域全体のバランスを考えると、旧県立美術館に重きを置いて、もっと歴史的に価値のある城跡の土塁と家老の屋敷跡である郭を破壊することには、賛成しかねるところがあります。何かがズレているように思います。歴史だの城下町だの、そんな秋田市のまちづくりのキーワードが空虚なものに感じられます。

 せいぜい持ってこれから数十年の建造物と、数世紀前からあり、さらにこれから何世紀にもわたって残すべき意味と価値のある歴史的遺産と、どちらが大事かは子供にもわかる話だと思います。でも、秋田のまちづくりの計画を担当する大人には、それがわからなくなっているのでしょうか。旧県立美術館再活用の資料には、「藤田と平野の二人の絆の物語」という言葉で、この土地と建物が脚色されていましたが、この土地が本来持っているもっと長い歴史的な物語と比べると、時間もスケールも小さな物語なのではないかと思います。ちなみに、旧県立美術館の敷地は久保田藩家老の梅津家の屋敷跡の一部です。

 この旧県立美術館は耐震基準も満たしておらず、館内の機械設備の更新も必要なので、およそ10億円の初期工事費をかけて使うことになっています。事業内容は、真向かいの新文化施設や近隣の他の施設と重複する部分が多く、秋田市内の一等地の施設に必要と思われる独自の機能性や商業性はほとんど感じられない、中身の定まらないもやっとした計画が立てられているようです。詳細はわかりませんが、秋田公立美大のアート分野の関係者が、仕切る予定になっているようです。

 この旧県立美術館を再活用することに関しては、どうせ使うならば意味のある使い方をして欲しいと言う気持ちもあり、再活用について話し合う、秋田市主催のワークショップにも参加してみたことがあります。でも、今年度のワークショップ全4回のうちの前半の2回に参加したところで、あまりにもくだらない内容に我慢ができず、前半のみの参加で後半は参加していません。たった4回しか予定されていないワークショップでしたが、前半2回は具体性がゼロでびっくりしました。昨年に引き続いての2年目のワークショップだったようですので、普通に考えれば具体性を高めていく場になると思っていたのですが・・・。

 何故か、秋田のことはもちろん旧県立美術館の周囲に付いても何も知らない、県外業者が仕切ってのワークショップでしたが、公的なお金を掛けてこの内容なのかと、私にとっては衝撃的でした。ワークショップは、秋田市が秋田公立美大のアーツセンターに投げて、アーツセンターが京都の業者に投げたものでした。何の意図があって秋田市の中心市街地の重要な施設のことを外部に丸投げしてしまったのか、さっぱりわかりませんでした。ワークショップの内容の設計はアーツセンターだったようなのですが、私が参加した2回までについて言えば、現実離れした夢のようなワークショップでした。美術的アプローチだったのでしょうか。全く理解できませんでした。

 今回の新文化施設の公聴会で、新文化施設にできる「練習室・研修室・創作室」の用途を確認したところ、向かいの旧県立美術館で予定されている内容とあまりにも重複していると思われたので、その点について質問してみました。旧県立美術館のワークショップに参加していた市の職員も、新文化施設の建設の申請者として公聴会の席に参加していました。

 それで予想していた通りの答えがありましたが、旧県立美術館再活用のためのワークショップの初回から数えて数カ月たって、旧県立美術館について具体的な質問がようやく初めてできました。本当は、旧県立美術館のワークショップの初回で質問するべき内容でしたが、それが2回参加してもできなかったので、巡り巡って数カ月後の新文化施設の公聴会で質問の機会が訪れたという感じです。本当に基本的な質問をする機会さえ無い驚きのワークショップでしたが、行政の事業の進め方を肌で感じることのできるワークショップ体験ではありました。

 私にとってこの上なく衝撃的だった旧県立美術館のワークショップの内容を紹介しておきます。2回めのワークショップの内容ですが、今後しばらくは忘れないと思います。

1.自分の10年後の理想像を思い描いてください。
2.付き合うとしたらどんな人が良いですか。
3.旧県立美術館が人だとしたらどんな性格でしょうか。
4.旧県立美術館が人だとしてどんな人物だと良いですか。

 今年の2回目、昨年から数えればおそらく6回目のワークショップにして、以上が全てでした。1.2.で午前中が終わり、3.4.で午後の部が終わり、これだけで5時間です。

 一つ書き加えておきますが、昨年の4回に渡るワークショップについては、今年のワークショップとは全く違うものだったようです。昨年のワークショップをまとめた資料を見ると、少ない回数の中で具体的な内容が話し合われていたのがわかります。今年度のワークショップが、それに積み上げて行われるものだったら良かったのですが、前年のワークショップを一切踏まえないで進行されたので。おかしなことになったのではないかと思います。 今年度のワークショップを仕切った、京都の業者と秋田公立美大のアーツセンターの裁量によるものだと思いますが、前年度のワークショップの内容の予習さえしていなかったのか、あるいは無視したのか、理解に苦しむ内容でした。秋田市もワークショップの内容に同意していたのでしょうから、何とも言いようがありません。

 旧県立美術館という建造物をどう使うか話しあう場で、具体的なことは一切話をせずに、いい年の大人が学生のお遊びのようなことをやらされるとは、本当にがっかりして、心底疲れました。会の最後には、ワークショップを仕切った側から、内容についての自画自賛発言もあり、何とも言えぬ虚しさだけが残りました。家に帰る途中、擬人化すること無く、あるがままの建造物としての旧県立美術館を見上げながら、馬鹿げた時間を過ごしてきたなと、たいへん情けない気持ちになりました。

 もっと、他に話しをするべきことがあっただろうにと思います。こういったワークショップはほとんどは形だけのものという認識は以前からありましたが、実体験として知るまでは、ここまでひどいものだとは思いませんでした。まるでわざと中身の無い会議を行っているかのようでした。1回めと比べると2回めは一般市民の参加が減り、市の職員と関係者の割合が異様に多いものになりつつあると感じました。残念なことですが、それも予定通りなのかもしれません。3回め4回めでさらに関係者ばかりになっていくかもしれません。

 旧県立美術館のワークショップの衝撃があまりにも大きかったので、今回の公聴会も重ねて考えてしまいます。本来の法律の趣旨の説明も不十分で、施設の設計についての説明も不十分で、ただ開催すること自体が目的の公聴会になっていたと思っています。

 今回の公聴会以前に行政が主催した新文化施設についての会合は、2018年8月20日に行われましたが、私は体調不良のため参加できませんでした。この時の説明会でも、事業については概要しか説明されておらず、具体性に乏しく、説明資料も不十分なもので、内容は今ひとつだったと知人からは聞いています。詳細な説明は今まで一度も行われていないのです。中身の乏しい会合が行われ、回を重ねるごとに参加者が減っていくような図式が、新文化施設の会合においてもすでに始まっているのではないかと、そんな心配もしております。


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 この画像は、ついこの間までの県民会館の航空写真です。この写真も他の図面と方角が揃うように、上が西で右が北になる向きにしてあります。こういった写真と、今後建設予定の施設の完成予想画像を並べて、比較しながらちゃんと説明して欲しいものですね。

 県民会館の北側の樹木と、西側の北寄り1/3の樹木は、全て伐採されました。けっこうな量感のある緑でしたね。かなりの樹齢の樹木がありましたので、本当に残念でした。伐採はせめて専門家の仕事だったら良かったのですが、解体の一環として見たことも無いくらいに雑にへし折られ、伐採されてしまいました。

 後世のものだと思いますが、雰囲気のあった石垣も多くは無くなります。残るのはほんの一部です。歴史的な大規模土木工事の跡とも言える城跡の土塁と郭が削られます。敷地南側と西側の一段高くなっている部分は一部残りますが、土塁と一体化して盛土されていた家老の屋敷跡の郭はおそらくほぼ全て損なわれます。もう二度と元には戻せません。埋蔵物発掘調査を県外から見学に来ていた人も、今ならばまだ間に合うから土塁を削るべきでは無いと、力説されていました。土塁自体も貴重なものですし、久保田藩の家老であった渋江家の屋敷跡であり、本丸が火事で焼けた時には殿様が仮の住まいとして居住した史実もある場所です。この土地の歴史的価値は、秋田市の他の場所には決して無いものなのです。

 この場所を保護し、今以上の破壊を禁止する条例が定められていないことを残念に思います。それがあれば、市や県が今回のような計画は立てられなかったのではないかと思います。城の土塁と家老の屋敷跡だったところを削り破壊してしまうというのは、通常ではあり得ない暴挙なのではないかと思うのです。いまだに続く箱物行政で、歴史的な遺産が破壊されてしまうことは、たいへん残念なことです。市民のルーツ、街のルーツを破壊してしまうということだと思うのです。

 向かい側の旧県立美術館の敷地を含めた一帯は、やはり久保田藩の家老であった梅津家の屋敷跡ですが、現在の国学館高校や市立図書館明徳館も、梅津家の屋敷の敷地に含まれていたようです。広かったのですね。向かいの渋江家は土塁に囲まれた少し高い郭にあり、梅津家の屋敷は低い位置だけど敷地が広いというように、同格の両家のバランスをとったのかもしれませんね。

 梅津家の屋敷跡のうち、旧県立美術館の入り口あたりの土塁はすでに消失している部分もありますが、国学館高校に面した土塁は残っています。城への入り口の一つであった中土橋の両側の、久保田藩の有力家臣の屋敷跡を活かした、長期的なまちづくり構想があっても良さそうなものだと思います。秋田は急速に人口が減り、土地はますます余っていくのですから、新文化施設の今回の計画の代案となるものが考えられるはずですし、城跡を壊して無理に巨大な建造物を建てる必要は無いと思うのです。

 祖先からも子孫からも、今回の新文化施設のような大工事の許可を得ることは私たちにはできません。この時代にいま生きる人間が判断するのは当然のことではありますが、長い歴史的な時間の流れの中では点にすぎない我々が、その流れを断ち切り全く別のものに作り変え、過去からの歴史的な物の存在を消してしまうことには、重い責任が伴います。

 その責任を負うことに、今回関わっている秋田県と秋田市の職員たちの覚悟があるのか、私は疑問に思っています。秋田には、古くからのものがあまり残っていませんから、今に残っているものは大切にしなくてはならない気持ちを、強く持たなくてはならない立場にある人たちなのですが・・。

 以前、県の職員に土塁を削ることに付いて危惧を伝えた時の答えで、即答で「デジタルで永遠に残します」と言った職員の言葉が、何とも軽々しくて私の頭の中から離れません。デジタルで永遠に残す、それは現実からは永遠に消失するという意味でもありましたが、責任を持たなくてはならない立場の人間が、デジタルで永遠に残すという安易な言葉を軽く口にできてしまうことは、私には違和感が強く気がかりなものでした。危惧に対して詭弁で応えたという感じでしょうか。

 組織で動くことによって、一人一人の責任感が希薄になっているのでしょう。あなた達の判断で、過去からの歴史的な遺産が、もう二度と元には戻らないものになってしまうのに。もちろん、本来は首長がしっかりと舵取りをするべきところだと思いますが・・・。

 もはや歴史的な遺産は少なく、古いものを捨て去ってきた秋田市で、千秋公園付近は貴重な歴史の残る場所です。ここは街の顔であり、城下町ルネサンスを標榜する秋田市の核となる場所でもあり、秋田市の観光の中心地ともなるべきところです。ここは、今を生きる人間が、祖先と子孫からいま預かっているだけの場所なのですから、 本来ならば、軽々しく破壊行為を行ってはならない場所なのです。補助金を得るための様々な算段をした上での事業計画だと思いますが、個人的にはたいへん残念な事業内容だと思っています。こんな設計にする必要性が、どこにあるのか、おそらく必然性は無いのだろうと思っています。

 新文化施設の事業においては、城跡である千秋公園一帯の環境を害する恐れがあるということについても、関係者は肝に銘じて考えなくてはならないと思います。市民全員が「利害関係を有する者」となる、歴史・文化において重要な場所で計画されている事業であることを、子や孫の財産となるべき歴史的な遺産を大きく傷つける事業であるということを、そこに自分たちが責任を負わなければならないということを、関係者は明確に自覚するべきだと思います。行政側の職員だけでなく、市議会や県議会などの市民を代表する機関の方々にも、開発される側の当事者の代表として、しっかりと考えていただきたいことです。

 秋田駅のすぐ近く、中心市街地に歴史的な遺産があり、それが広く残り公園としても機能しているというのは、秋田市の大きな財産であり街の特徴であり、今後もこの一帯の魅力を強化していく上での根本となるものだと思います。その基礎となる歴史的な遺産を自ら破壊してしまうような行為は、決して賢明なことではないと思うのです。

 今回の事業も含めてですが、近所のいくつかの工事や事業を見ると、行政の企画力や事業の構成力が低下しているのではないかと思う時があります。完璧な事業などありませんが、予算獲得や工事そのものが目的化したような事業が多くなっているように思います。土地があり、補助金があり、そしてパズルのようにいくつかの要素をはめ込んでいく、それが行政手腕という感じの事業が多くなっているような気がしてなりません。


 最後に、新文化施設について、以前秋田市から送られてきた文章を掲載します。

 近所のペレットボイラーの設置状況があまりにもひどいので、秋田市に問い合わせをしたことがありますが、 その中で新文化施設についても少し触れました。ボイラーでさえあの状態では、新文化施設の事業も信頼できないし不安だと書いたものに対しての返答部分をそのままです。2017年3月8日付の秋田市からの正式な回答文章の一部です。

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 「なお、県・市連携文化施設については、来年度以降、設計や工事を行うことになりますが、施設完成後の運営も含め、周辺住環境が保全されるよう意を用いてまいりますので、本施設の整備にご理解、ご協力をお願いいたします。」

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 全体としては、市長の名前での回答文書でしたが、文末には企画調整課・環境総務課・都市計画課 の連名がありました。上記の部分については、企画調整課と都市計画課の担当部分だったと思われます。

 「・・施設完成後の運営も含め、周辺住環境が保全されるよう意を用いてまいります・・」の部分、いまのところ意を用いていただいている感じはしないどころか、周辺住環境が保全される気配そのものが無いというのが現状です。

 県にも市にも設計業者にも、もっと誠実な態度を望みます。私たち住民に対して、設計計画をわかりやすく具体的に説明し、住民と意見交換をするところから、あらためて真摯に行っていただきたいと思うものです。

 それは、「ともにつくり ともに生きる 人・まち・くらし」という基本理念を、ただ普通に実践していただければ良いだけの話なのです。

 長々と書きましたが、私の真意は公聴会で問いかけたとおりで、もう少し住民と相談しながら事業を進めませんか? いかがですか? ということです。貴重な意見ではなく、ごく当たりまえの平凡な意見としてです。

 いろいろ書きましたが、無視されればそれまでの話です。行政側の無視はある種の必殺技で、伝家の宝刀のようなものですから、こちらは無力で太刀打ちできません。


***以下、追加で関連画像をいくつか***


 新文化施設建設予定地のすぐそばにある、久保田城跡であることを示す石碑です。左の池は、久保田城の外堀だったところです。市政90周年を記念し、昭和54年(1979年)に設置されたことが背面に書かれています。

 石碑と今回の建設予定地を一緒に写すと、このような感じです。現在は県民会館を解体中です。石碑の背景の小高い部分が、外堀に面した城の土塁です。敷地の南側のこの土塁と、西側の土塁の一部は残りますが、他の土塁や屋敷のあった郭は、ほぼ全て削り取られて消失します。

 広小路側から見ると、一見は城跡の土塁を大事に残しましたという風に見えるのですが、実際にはほとんどこの土地を破壊するという設計で、新たな施設は建設される予定です。久保田城跡の石碑のそばで、これから城跡を破壊する工事が行われることになります。

 ガラス越しでぼやっとした写真になってしまいましたが、久保田城跡の石碑のそばに在る明治元年現在の城郭図の一部、中土橋付近の絵図です(上が西)。渋江内膳の屋敷部分には、県民会館と図書館の文字があります。昔は、県立図書館がここにありましたね。梅津小太郎の屋敷部分には、県立美術館の文字があります。

 この絵図が設置されたのがいつなのかの表示は見つけられませんでしたが、ここに県立図書館があったのは1993年までのことですので、それ以前に設置されたということになります。

 宝暦13年、1763年の久保田城の絵図の中土橋付近です。この図では、上が本丸の在る北になります。今回の建設予定地には、渋江内膳の名があり、旧県立美術館側には、梅津小太郎の名があります。 渋江家の屋敷の周囲全体が、土塁として高くなっている事が示されています。

 平らに見える梅津家の屋敷の敷地は、沼地を1.8メートルほど盛土をして造成されたそうです。小高い渋江家側は、沼地に接するもともと地面だった土地に、大規模な土木工事が行われたものなのだそうです。

 千秋公園の御隅櫓にあるジオラマの同じ場所です。古くなって劣化してしまったのか、お堀の水の色に青みが無くなり砂色になっていました。写真の下側が、現在の広小路の位置になります。

 ちょっと角度を変えて見ると、このような感じです。今も残っている土塁や、無くなってしまった土塁が、何となくわかりますね。旧県立美術館の入口あたりは、けっこう手が加えられたのだなと思います。

 少し寄ってみましょう。渋江家の屋敷の建物の配置などは、実はわかっていないそうですから、想像で建物を配置したものだと思われます。 この記事の冒頭の、新文化施設の完成パースと同じような角度からの俯瞰図になります。

 もっと寄ってみると、渋江家の屋敷への階段と思われるものもあり、敷地全体が一段高くなり土塁と一体化した郭だったのがわかります。本丸消失のおりに殿様の仮御殿として使われた屋敷ですが、築城当初から殿様の仮御殿になる場所として縄張(設計)されたものです。

 この地形がそのまま残っているのに、今回の新文化施設の工事では、この渋江家屋敷跡の小高い土地をごっそりと削り破壊してしまいます。残念でなりません。

 ちなみに、渋江家の表示の後方に、穴門の表示がありますが、そのあたりがちょうど当工房の在る位置です。

 ぐっと引いて、城郭全体の様子です。今回の事業予定地も旧県立美術館側も、最有力の家臣の広い屋敷跡だったのです。

 これは、千秋公園に在る渋江政光の記念碑です。正式な名前は渋江内膳政光だったそうです。久保田藩創設に大きく貢献した重臣で、久保田城の縄張(設計)にも携わり、家老も務めました。この人の屋敷跡が今回の建設予定地です。

 千秋公園の渋江政光の記念碑は、大正2年、1913年に建立されたものです。渋江政光は1614年に大阪冬の陣の今福の戦いで亡くなったそうですから、没後300年の記念碑だったのですね。この記念碑の写真は2014年にもブログで紹介したことがありましたが、それはこの記念碑の建立から100年、渋江政光の没後ほぼ400年の年だったのだと、今回あらためて気が付きました。没後400年以上経ち、城の縄張(設計)にも携わった渋江政光の屋敷跡地が、城跡の一部として当時の形をとどめて残っているのですから、本当に貴重なものだと思います。

 当時の渋江政光は、久保田藩初代藩主の佐竹義宣が能力重視で重用した、若手の実力者という存在だったようです。それをよく思わない家臣によって、佐竹義宣と渋江政光の暗殺謀議も起こったそうです。藩主佐竹義宣のもとで、久保田藩創設と基礎作りのために、渋江政光は尽力したのでしょうね。

 久保田城の縄張や城下町の町割には、初代藩主の佐竹義宣も直接指揮をしたという話も聞きました。佐竹義宣は豊臣秀吉の命で伏見城の普請にも動員されており、城の普請などにも能力を発揮した大名だったようです。

 そして、久保田城の築城や町割の実際の工事には、当時この地に住んでいた人々が参加しています。当時の一般の人達が参加して造り上げたものが土台となり、今の秋田市の基礎となっています。城や城下町の痕跡は大名や家臣の行った事業の痕跡であるというだけではなく、多くの庶民が参加して行われた大土木工事の痕跡でもあります。祖先が残した街のルーツの一つとして、大切にしなければならないものなのだと思います。

 現在、県民会館の解体工事はだいぶ進んでおります。県民会館の敷地全体が久保田城の城跡ということになりますが、以前は知識も無く、何とも思っていませんでした。でも、少し調べただけで、この土地の貴重さが私にもわかるようになりました。

 県民会館以前には、大正から昭和にかけての記念館(大正天皇御即位記念会館)があり、明治から大正にかけての公会堂があったのですが、今回はより古い歴史について書きたかったので、近代のこの地の建造物などについては触れませんでした。でも、この小高い土地の歴史的な背景を、過去の施設の設計者や事業関係者はわかっていたでしょう。この土地の根本を破壊するような設計や工事はしませんでした。記念館や公会堂は、デザイン的にもこの場所にはふさわしい素晴らしい洋館だったと思います。今回の県と市と設計業者の設計方針を、心から残念に思います。

 後世のものだったと思いますが、雰囲気のあった石垣はすでに無くなっています。 このあと、この小高い渋江家の屋敷跡の土地は、全体が大きく削り取られて消失します。 歴史的なものが、こんなにあっさりと、多くの市民が知らないままに破壊されていくのが、不思議でなりません。

 中土橋から見た、今後造られる予定の施設の完成パースです。渋江家跡地の小高い土地は大きく削られて、道路と同じレベルになります。せっかく残っているものなのに、削ってしまえば城跡としての意味のない場所になってしまいます。

 東側から見た正面完成パースです。施設の正面から見た時に残るのは、画像左端の土塁だけです。

 広小路側からの完成パースです。手前の堀に面した南側の土塁と、西側の土塁の半分だけが残ります。城跡に配慮しましたという体の設計ですが、配慮した振りだけのものです。渋江家屋敷跡であり、城主の仮御殿として造られた小高い土地は大きく損なわれて、二度と元には戻りません。

 数十年後の将来ここに残るのは、数百年前からの城跡ではなく、耐用年数が過ぎるコンクリートの建造物ということになります。今から27年後の2045年には、県人口が60万人に減り高齢化率は50%以上と予想される秋田で、歴史的な遺産を残しながら、将来の負担にならない施設の建設ができないものなのだろうかと思います。

 これは、当工房の目の前の土塁です。今は、埋蔵文化財の発掘調査中です。樹木はすでに全て切られましたが、調査後に土塁自体も削られます。全国的に見ても珍しい工法の用いられている土塁らしいのですが、とても残念です。建設予定地内では、他にも貴重なものがいくつか出土しているようですし、この土地そのものが歴史的な意味と価値のあるものですから、本来であればもっと大事にされなければならない場所ですね。計画では、ここに車両の通るスロープなどのコンクリートの人工物が造られるのですが、どのようになるのかよくわかりません。

 この土塁に接する和洋高校の敷地は2階建ての駐車場になりますが、その敷地全体が渋江家の下屋敷だった場所です。土塁の外側の外堀に接する低地にあり穴門のそばに造られた渋江家の下屋敷、城を守るための防衛上のことなど、何らかの目的があっての造りなのかもしれません。

 最後に、明治初期の写真です。現在の千秋公園で言えば、南西の角から写した写真です。橋を渡りきった右端のあたりに、現在の当工房があります。

 この頃は、まだ久保田城の姿をそのまま残していたようです。そこから今に至るまでに、ずいぶん変わったのですね。今回の建設予定地のように、城の土塁であり家老の屋敷跡でもあるような場所、今も残っている歴史的な遺産は、大切にして後世に残すことができないものかと思います。

 もちろん、デジタルデータではなくて、現実のものとして。